なぜサッカーの本田選手は、能力やメンタルが桁外れなのか?

 

人にはそれぞれ、成長する動機や、

社会に貢献するきっかけが変わるときが、

役割やポジションによってあると思う。

 

そのきっかけは、誰が与えてくれるか。天か、人か、あるいは書物か。。。

 

答えは、極論を言えば、自分自身だと思う。

 

前回のブログで、「将器」というテーマについて、書かせていただいた。

将器の最後のステージは、「天下の将」だ。いわく、

 

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仁愛は下にゆきわたり、信義は隣国を心服させ、

天の時を知り、人の行いを察し、地の利をわきまえていて、

天下・国家・万民を我が事のように、家族のように思っている人、これが「天下の将」です。

(※詳しくは、前号を参照)

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私は経営者としても、人間としても、まだまだ未熟だ。

ただ、これから事業家として、全社を引っ張り、日本のアジア立脚に本気で貢献し、

これから関わるすべての社員と家族の未来の繁栄を願うのであれば、

 

みなが誇れるよう会社をつくりたい。

だから、私は「天下の将」をめざすのです。

 

 

こう聞くと、自惚れや、うぬぼれのように聞こえるかもしれない。

しかし、まったくその逆で、

私は拙いばかりなので、目指さないことには、はじまらない。

自分の至らないところも、わからない。

 

ただ、わかることは、

そこにたどり着くためには、

見聞、鍛錬、学問などの一般的なものでは、ダメだということだ。

 

 

ときに触れて紹介する、サッカーの本田圭佑選手が、

その「天下の将」のステージに近づいているのかな、と感じたのは、

つぎの一言を、NHKの特番番組で耳にしたときだ。

 

『自分に、打ち克てるかどうかが、強いんじゃないかなと思います。

人生ぼく生きていて、自分と本当に向き合っているし、自分に問いかけていることが多いので、

自分に向き合って、自分に克つこと。そこに尽きるのかな、と。』(本田圭佑)

 

 

ある程度の「将」のステージまでは、教えや書物で、どうにかなる。

ただ、最後のステージまで自分を成長させるのは、

『内省』しかないと、今は、感じている。

 

つまり、自分の内面と向き合い、自分に問いかけることで、

その判断と声の処理を、自分でおこなうのだ。

 

かの宮本武蔵は、60歳をむかえた晩年、

『五輪書』を、山窟にこもって書き上げたと言われている。

剣の達人になったからでも、奥義を後世に伝えたかったからでも、ないと思う。

 

内省のステージに、晩年、武蔵が歩み寄ったからだろう。

28歳の本田圭佑が、

そのステージに近づいているのであれば、それがすごいなあ、と感じているのだ。

 

 

私は、今年で37歳を終えた。

長らく入院生活をしていた実母が、ガンで亡くなったのが、同じ37歳だったと聞いている。

 

この変革の年齢を、むかえ、

私は、自分の「強さ探し」を、やめた。

自分の「弱さ探し」も、やめた。

 

おそらく、

 

自分の強い部分を探そうとすれば、

自分の弱い部分に気づき、より強さを求めよとする。

 

自分の弱い部分を探そうとすれば、

虚栄心が芽生えて、自分や他人の邪魔をする。

 

 

だから、日々、

自分と本当に向き合って、一歩、一歩、自分に問いかけていくだけにした。

 

一日も欠かさないと決めたブログやコラム執筆も、

毎日の反省を書き記しているプライベートな日誌帳も、

 

そうした内省の吐露(とろ)のひとつだ。

書くことが、おおいに、内省につながることを知った。

余談だが、だから仏心は般若心境なのか、と今わかる。(私は無宗教だが)

 

 

私は「天下の将」となるざるを、これからも、無心で求めていきたい。

 

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天下の将

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仁愛は下にゆきわたり、信義は隣国を心服させ、

天の時を知り、人の行いを察し、地の利をわきまえていて、

天下・国家・万民を我が事のように、家族のように思っている人、これが「天下の将」です。

 

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