今日は感謝と徒然と高野山について。
「高速読書」が発売3週間で4刷(2万部)になった。
いくら弊社がPR会社といえ、これは正直、狙ってできない。
なので、ひとえに全部ご関係者、ならびに社員、空海さんのおかげです♪
発売初日に、偶然、仕事で高野山に行ったご利益ですね。
自分は、本は自分で全部書きます。
今回も「最初はご自身で書くの?と思いましたが、ブックライターさんに依頼しなくて本当に良かった」と編集者さんに言っていただき、心底嬉しい。
ただ、少なくとも1週間、朝5時~夜10時まで、執筆に集中する。
人間、そんなに集中できない。
だから、ボーとしてきたら水を浴びる。
社員にも、すこぶる迷惑をかけます。
ちなみに、高野山には3日いましたが、「え?また行くの?」と周囲があきれるぐらい、奥の院といって、空海さんが祭られている場所に行ってきました。
何やるの?お経も読めないので、じっと座っています。
そもそも自分は昔、霊感があった。そんな気がする(笑)。
あった、というとおかしな表現だが、
昔あったと強烈に感じたのに、今はほとんど感じられない。
記憶もどんどん薄れていく。
だいたい、霊感というと、すごくオカルトチックな感じがする。
感じる力が鋭い、といったほうが、かなり正しい。
霊感という言葉は、それを商売にしようとした人が、
わかりやすくパッケージ化した言葉だろう。
そのとき、世界がこー見えたのに、今は無い。
それは、そういうものだからだと、個人的には思う。
そのとき必要で、今は必要ない。
だから、自然と無くなるのだ。
むしろ個人的には、必要ないのに維持できないモノだと思う。
ただ、そのときの感覚がまだ記憶として「残滓」に残るから、
無くなっても、勝手に自己鍛錬を続けたり、何かを探求する原動力になる。。。
稲盛和夫さんは、生死をさまよった経験があり、その後、仏門に入った。
おそらく、そのとき似たような感覚を持ったんじゃないかなー、と感じる。
まあ、僕は欲にまみれているので、仏門に入る気はさらさらないけどね(爆)。
だから、日々鍛錬も積んでいないのに、
霊感だけあるという人を、僕はあまり信じられない。
なぜ、自分の未知(道)を極めたり、自己鍛錬していないのに、霊感だけ高まり、維持されるのか。
自分の実体験というか、感覚的には、まったくもって意味不明なのだ。
という、どうでもいい話が続く。。。(続く)
Source: PR会社でナンバーワンを目指す!上岡正明オフィシャルブログ